今日はちょっと違うことを書いてみる。
自分がだんだん、
そう捉えるようになったことで人生が楽しくなってきたよーということをちょっとだけ。
「良い」「悪い」
「正しい」「誤り」
「成功」「失敗」
「スムーズ」「滞る」
とか、二極だけでジャッジすると
本当に人生って過酷な感じになってしまう。
あと、どちらかだけってない。
陰と陽は必ず同量になる。
(この話はまた)
答えは必ず内側にあるし、
外側に見えるものは
全て自分の内側を投影しているだけだなって実感しています。
だから、例えば
自分にとって、なんなの?って
一見、マイナスに感じること、
が、現れたとして
それは、自分の何かを気づかせるために
起きたり、悪役をやってくれる人が登場したりする。
突き詰めると
罪悪感、劣等感、無価値感、
などかな。
で、それを持っていることも
悪いことでもなんでもない。
みんな何らかあるよ。
どう向き合っていくかも
それぞれ。
正解もそれぞれ。
解決しなくたっていい。
自分にとっての正解って
それで心地よいか?
それだけです。
その術は
自分の心と本当に向き合っているか?
それだけ。
外側には答えはないです。
同じ場所、同じ時間にいて
同じことをしていても
みんな見えているものは違うから。
感じているものは違うから。
「あの人がこんなだから」
「社会がこんなだから」
〜のせい、と主語が自分でない時は
一旦、思考の暴走を止めてみよう。
自分の中に
もう1人の小さい自分、がいるイメージをするとわかりやすいかも。
「今、どう?」
と、聞いてみる。
今、とても怒っている
→怒っているんだね
今、とても悲しい
→悲しいと思っているんだね
今、とてもさびしい
→さびしいと思っているんだね
これは、不思議なことに
その感情を解決しようとしなくて
そうなんだね
と、受け止めて、みてあげるだけで
消えるんだよ。
いつの間にか流れる。
(これは教えてもらって自分もやったこと)
自分1人で座って、ぼーっとすればいいだけの簡単なこと。
テレビもパソコンもスマホもなく、ぼーっとする。
流れが滞る時は、
休む時なんだなぁ。
まわりへの感謝を忘れていないかな?
と一旦、立ち止まる時なんだなぁ、と
一見、マイナスとみられるような出来事の時をみる角度を変えてみるだけでも、楽になったかなぁ。
だからといって
「変えなきゃ」「解決しなきゃ」と
思う必要もない 笑。
どんな時も
まずは、自分を責めることをやめてみる。
自分の思考に対して、
「って思ったな、今、以上。」でいい。
ちゃんと流れる時くるので。誰にでも。
ちょっと乱文だけれど。。
ここにくる人って
私のこと好きな人しかいないだろうと思っているので 笑。
誰かのため、何かのため、世のため人のためにと
大きいことを考えるよりもまずは、
「自分が自分らしく、心地よく笑顔でいられる時間を増やす」
そうすると
→家族や友達、身近な人も心地良くなってくる
→そのまたご家族、身近な人も心地よくなってくる
…って感じで
とてもそれって1番の社会貢献じゃないか?と私は思うようになりました 笑。
でももちろん
機嫌悪い時も、落ち込む時もある
人間だからね〜