新たに
改めて
気づきが起きたりすると
「あー、やっちまってたな」と
思ったりするかもしれない。
でもそこで自分責めちゃうと
それはまた堂々巡っちゃうから。
そういうプロセスが
必要だったんだなって
思えばいいさ。
「まずは自分を大切にする」
「自分と向き合う」
「自分を知る」
と
「自分のことしか考えていない」
っていうのは言葉にすると
似ているように感じるけれど
似て非なるもの
というより
全く逆なんだよ。
(ちょっと今の自分では
その矢印をうまく説明出来ないけれど)
私もそこを混同して行き来していた。
だからモヤってた。
それがはっきり違いを体感して
わかったのが昨日書いた
木曜日に味わった感覚。
(昨日はまだ整理ついてなかった)
冒頭に書いた
自分責めても堂々巡りっていうのは
まさにそれで
それって
自分のことしか考えてなくて。
かといって
「みんなのために」
「誰かのために」
しましょうってことでもない。
そこに
「自分」を感じない瞬間が
自然に生まれている時
本来の心地よさ
多幸感を味わったり
または、場そのものが
満ちていたりする
そんな感じ。
「自分」を感じない瞬間こそが
本来の自分と繋がっている。
言葉だとややこしいし
あやしい人みたいだけれど 笑。
1番近い感覚が
子どもの頃に
わーって夢中になって遊んで
気づいたら夕方みたいな感覚。