突然、嫌われたりする日

今日はちょっと心理の話。

前にも投影の法則について
少し書いたことある、かな。
専門的な説明は
本でもなんでもあるので
ここでは自分を題材に書く。

投影は
「自分の心の中にあるものを
外の世界に映し出している」という
心理学の基本っぽい考え方で、
よく
「自分のフィルターを通してしか見られない」
とか、
そういう言葉もあるけれど
それもその概念からかな。
「好き」「嫌い」だけでなく
あらゆる人間の感情に対して起こっている。

特に、自分では気づいていない
抑圧している感情。

初めに書いておくと
これは解決しなくていいこと。
直すとか、変えるとかも
しなくていいこと。

自分が心底受け取れた時
本当に消えるから。

あと感情に「良い」「悪い」は
ないということ。

ほんと、このジャッジってやつは
頭でわかっていても
完全になくすことは出来ないし
徐々に薄まるくらいしか出来ないんだと
思う。

自分の話に一旦戻す。
タイトルの話題。

ある日
突然、嫌われた
(と、感じたり)
突然、敵意を向けられた
(と、感じたり)

「自分の好きなようにすると嫌われる」
というのが
自分の中にずっとあったわけです。

自分の何を投影しているのか

それが抑圧している部分
・「人を嫌いになる」
(人をむやみに嫌ったらいけないと思っている自分)
・「人に敵意、嫉妬などを感じる自分の部分」
(他人を敵視したり、羨ましがったらいけないと思っている自分)

その感情が生まれた背景は
また長くなるから割愛として、

人それぞれ
そういう背景がある。
私の場合は↑これが1つの部分として

ルールに縛られている人の前には
※「こうあるべき」に自分が苦しくなると
目の前にそのルールを守らない人が現れる
その役回りをやってくれるありがたい人が
現れる。

なぜ、「投影」するのかというと

自分の中の抑圧し、
光をあてていない感情(自分では認めたくない部分)
そこを、
見てあげよう
もうそろそろ解放して、手放そう
という
大切なサインと解釈しています。

なかなかそう簡単には
思えないけれどね 笑。

で、そこに気づくだけでも
大体は
消えるか、
気にならなくなるか
だけど、
あえてやってみるというのも
1つ。

人をやたらと嫌ったらいけない
だから、は??と思うことがあっても
この人にもいいところはあるし〜
よくしてもらったし〜
みんな仲良くしたいし〜
と、
抑え込んでいた感情を
あえて出す。
は?嫌です。嫌いです、と。

嫉妬心を丸出しにしてみる
私もそれやりたい
私もそれがほしい
私もそうなりたい

そんなこと言ったらいけない
はずかしい、と
思っていた自分をあえて出す。

などなど。

突然、嫌われる日があるということは
突然、嫌いになる日があるということ。

そうそう
ちょっと余談として
嫌いな他人(というか他人の嫌いな部分)って
けっこう自分を知るバロメーターで

例を挙げると
・自慢するところが嫌い
→自慢したい自分を出してみよう
・怒りっぽいところが嫌い
→怒ってもいいよ
・自分勝手なところが嫌い
→自分の好きにしてみよう
・ケチなところが嫌い
→自分のケチなところ出してみよう
・ルーズなところが嫌い
→本当はルーズな自分を出してみよう
・頑固なところが嫌い
→自分の頑固なところ出してみよう
・おしゃべりなところが嫌い
→もっとしゃべろうぜ
・マウント取ってくるのが嫌い
→本当はマウント取りたい自分、いるよ
・とろいところが嫌い
→ゆっくりいこうぜ
・決断力がないところが嫌い
→決めることを急がなくていいよ

とかとか

嫌な役をやって教えてくれている。

必ずと言っていいほど
自分にもある部分
だからこそ「嫌い」なんです。

自分に「ないもの」って
目につかないどころか
認識出来ないから。

そんなことをしたら
「悪いこと」が起こる
と思っているのも
自分の思い込みでしか
なくてさ。

1つずつ
自分の中の
光も影も
同じくらい大切だから。

みんな解放されるほうに
向かっているのが人生だから。

朝タイム終わり。
今日は次のライヴのリハ。
準備して楽しんでいこう。