おい

「老」という漢字の成り立ちについて
今さっと検索しただけだと
「杖をついた長髪の老人の象形」
からきている
らしい

「老」と「考」という字は
似ている。

今年に入って
具体的に「老い」というものと
向き合う時間が増えた。
自分自身のというよりは
自分の近しいところで。

もちろん自分自身も
こうしている間も一分一秒
老いて、人生の終わりに向かっている。
それは生き物であれば必ず。
年齢がいくつであろうと。

わかっていても
受け入れるのに時間がかかることもあるし
「生と死」を
どんなふうに受け取るかも
どれだけの時間をかけるのかも
何が正解なんてことはない。

悲しいとかさびしいって
感じたくないって思っちゃうよ
それだけ
大切な出会いや
大切なことや、時間が
あったからこそなんだよ
という面と同じ分なんだよ
と知っていても。
わかっていてもだ。
思っちゃう時は
思っちゃう時でいいんだよ。

現実的には大変だなと感じることも
向き合う時間を
受け取る準備の時間を
もらっているのかもしれないなと
昨日ふと思った。

みづほちゃんに会えたの、春のライヴ以来だった。
家のこととか、短い時間ながらお互い近況を話したりした。

バンドのあれやこれや
などは、また書きます◎