子どもの時のような気持ちになる
とは、こういうことなのか
BUCK-TICKは
私にとってそういう存在です。
昨日のこと乱文ながら書いておく。
BUCK-TICK初の武道館ライヴを観たのは
33年前でした。
櫻井さんが亡くなって
一旦は中止になった恒例の武道館
だけど、「バクチク現象」やるとなって
私は100%嬉しかった。
前向きに次にいこうとするBUCK-TICKが
とても、らしいなと思った。
ただ、実際、現実的に
どうするんだろうと思った。
歌って、声って。
ゲストボーカルを呼んだって
追悼イベントならまだしも
多分、そういうことをやるつもりじゃないんだろうなと思った。
始まって
櫻井さんの場所にも
スポットが当たっていた。
櫻井さんが本当にいないんだということを、
実感する日になることはわかっていた。
多分、武道館にいる誰もがそうだったんだと思う。
1曲目はまわりもみんな泣いていたし
嗚咽が聞こえてきた。
私ももうぐちゃぐちゃに泣いていた。
ライヴ中、何度となく
そういう瞬間は訪れた。
でも、不思議と
櫻井さんがいるような感覚になる時もあった。
後ろのスクリーンに
櫻井さんの映像が流れる曲と
そうではない曲があった。
櫻井さんの映像が流れない曲は
聴こえ方が違った。
同じ様に歌は流れているのに。
ライヴは聴覚だけで聴いているんじゃないんだなって思った。
あと、同じような音量で歌も流れていても(音源レコーディングしたものではない)
目を閉じても
違う感覚だなって思った。
そこに存在している、気、みたいな
肌で感じるものがライヴにはあるんだなと
改めて思った。
それでも、
肉体はそこになくても
櫻井さんの魂を
このメンバーもBUCK-TICKのファンも
消すことはないというのを
とても感じた。
アンコールの前に
メンバー1人ずつが話した。
そんな場面は今まで観たことがないし、
無駄にセンチメンタルに演出したり、
何かを煽ったりしないバンドだと
ファンもわかっているから
そのままの姿と言葉であることが
響いてきた。
だから信頼できる。伝わってくる。
今井さんが
「何、しんでんだよ!」って話し始めたのが
この日まで何度も思っていて
吐き出せた言葉だったのかなと感じた。
全てに愛が詰まっていた。
この日はステージ真横の前のほうの席で
会場のでかいスピーカーよりも後ろだし
バックステージから観る様な場所だった。
ステージ上のメンバーよりも
武道館を埋め尽くすファンのほうが観える場所だった。
ステージ横のスタッフさんの動きも全部みえるし、
音やスクリーンを正面からは浴びれないけれど、
逆に人間味を感じるような、新鮮な場所だった。
ー
圧倒的で
超越したものを観たとともに
自分は今世では、この次元を味わうことは出来ないのかもしれないんだな思った。
こんなでかいものを負えない。
(それは死ぬまでわからないけれど)
あと、3回くらい転生しないと
今井さんにはなれないかもな 笑。
とはいえ、
自分にも自分のお役目があって
人間界に人間として存在している。
日々、目の前のことを大切に
目の前の人たちとの笑顔を大切に
私も楽しくギターを弾いていくし
自分の人生を全うする。
BUCK-TICKは
ギターやいろいろなことと出会えたきっかけでもある存在。
でも、そんなこともあれもこれもどうでもいいと思えるほど
子どものような気持ちにさせてくれる存在。
永遠に感謝しかないし、これからもずっと応援します。