それを「暗闇」と捉えるかどうか

※追記あり

時間は、過去〜現在〜未来と
一本の線のように流れているのが
「普通」だと思っていたけれど、
最近は違うかも?とも思っています。

それは不思議な話とか
スピリチュアルとか
そういうことではなくても
今が変わると、おそらく未来は変わる
と誰もが思っているように
今が変わると過去も変わる。



???
簡単にいうと「捉え方」であり
「見え方」だけど。

今日は、私がバンドを辞めて、ギターを辞めたキッカケになった1つでもあった頃のことを書きます。


少し、重い感じもあるので、読む方はご了承下さい◎

私が心の状態が元になって、体調が悪くなることに悩んでいたのは、
波が大きくなったり、小さくなったりも含めて
一進一退でゆるやかには27歳から35歳くらいまでかな。
1番ひどかった時は、仕事も出来なくて辞めたし
電車も1人で乗れなかったし、外に出るのは全て恐々と生活していた。
眠れなかった。

仕事は出来なくても、当時は実家だったから生活はできたというか、親がいたから何とかなったという反面、その罪悪感や無価値感がさらにその心身の症状を引き出していたことを理解出来るようになったのはずっと後のこと。

その根本を辿るのは、今回は割愛しつつ。

よくわからない体調不良が度々あって、検査をしてもどこも悪くない。(よくある話)
今でこそメンタルケアについてなども一般的になったけれど、当時はまだそんなに表に出ているものではなかった。

初めに一般的に言われているパニック発作を起こした時に、これは心がどうかしているのかもしれないと思って、恐々と心療内科に行ってみた。
そこで診断されたのは「パニック障害」と「広場恐怖」だった。
なんだそれ?ってなった 笑。当時はまだそんなワードは出回っていなかった。

カウンセリングのようなものをされて、色々なことを聞かれた。
薬を出されて、「とにかくは家を出なさい」と言われた。
その時は何を言ってるんだ?と思った。
こんな状態でどうやって1人で生活するんですか?って言ったと思う。
明らかに先生の説明は雑すぎるれど、今となっては意味がわかる。

うつとか心療内科とか、なんかタブーなような、ネガティブな印象を持っていた。
自分は何か「普通の人間」から脱落してしまったような感じがした。
ーと、いう捉え方自体が、当時の自分を物語ってもいる。
(全て当時の自分の感覚です。実際はネガティブなことでもないし、そんなボーダーはない)

帰ってから、この薬がなんなのかをネットで調べた。
いわゆる抗不安薬や睡眠薬や、というものだった。
自分の中の勘なのか何なのか
これで薬を頼る生活になったら長引くと思った。

とはいえ、
試しに何度か薬をのんでみたら、頭がぼんやりして眠く
仕事に行けなかったり、
発作の恐怖があったり、
そこでまた罪悪感。
仕事をやめた。
薬を飲むこともやめた。


バンドはやめられなくて、
メンバーが送り迎えしてくれたり、あれこれ考慮してもらって続けていた。
リハ中に発作の波がきて外に出たり、
一度、ライヴのMC中に、冷や汗が出てきて
「ごめん、気持ち悪い、もう出来ない」と耳打ちしにいって
「あと少しだけがんばって…」と言われて乗り切った日もあった。
乗り切ったけれど、自分にどんどん絶望していく。
次が怖くなる負のループ。
それでもどんどん予定は入ってくる。
バンドはいい感じなのに…
焦る。不安も大きくなる。
罪悪感も大きくなる。

「自分に甘すぎるし、厳しすぎるんじゃない?」
そんなようなことを言われた。
正反対な言葉だけれど、意味はわかるし、
ありがたい言葉だったなと思った。

当時の感覚では
「罪悪感に押しつぶされて」
そのバンドを辞めた。

辞めてすぐに、いくつか他のバンドに誘われた。
でも、全く自分の価値を感じていない当時の自分は
「どうせギター云々でなく女だからでしょ、見てくれだろ」と思った。
事実そうかもしれないし、
そうじゃないかもしれないけれど、
心が追いやられている状態の当時の自分は、
何でも被害妄想と自分を責める材料にした。

前向きに話はするものの、これでは同じことを繰り返すと思って全部断った。

お酒を相当飲んでいた。
完全にアル中になる典型のような飲み方だった。
おいしくもなく、1人で飲んでいた。
枕元に常に一升瓶が置いてあった。
今、改めて文字に書くとすごいな 笑。
(その後は楽しめる範囲でしか飲みません)

1番どうにもならなかった時は
仕事をしていないから昼間から飲む。
絶望する。
リストカットの真似事はする。
発作を起こして救急車を呼ばれる。
ここに書ける範囲のことでも、
少し恥ずかしいくらい
お酒や恋愛をはじめとした人間関係や
あらゆるものに、理由のわからない「生きづらさ」の答えを求めて
依存していました。

後から聞いた話だと
母親も区役所の相談コーナーとかに行っていたらしい。
その話を聞いた時には、そりゃそうだろうねーと笑い話になったけれど。
娘がそんな状態になったら心配だよね。

その後、小さい波はありつつ
2年くらいは精神的な安心度の高い
全員が先輩な方々のバンドでギターを弾いていたけれど、
1人で写真を撮ることが楽しくなっていたり、
だんだんとなぜギターを弾いているのかわからなくなっていた。
でも、ずっと子供の頃からやってきた音楽をやめられないだけだった。
その自分に気づき
そのバンドも辞めて、ギターを弾くのを辞めた。
1人で写真を撮るようになった。

その後の10年は
20代までの自分を否定して、反動するような10年になった。
反動するあまり
誰からも「いい人」だと思われたり
無意識に思われようともしていた。
もう誰ともぶつかりたくなかった。

そしてまた、だんだんと行き詰まりと生きづらさを感じた。
また、あの頃のような自分になるんじゃないか?という恐怖がどこかいつも付き纏っていた。
その後も、それを表すようないろいろなことがあった。


その後、
根本的に自分と向き合おうと思った。
決めたわけではないけれど、自然とそうなっていた。

心のことを勉強したり、カウンセラーを目指している人が多くいるようなワークショップや勉強会にも行ったりした。

そうしているうちにまた
ギターが弾きたくなった。
弾くようになる流れになった。


かなり割愛してしか書けなかったけれど。
また掘り下げたくなる機会があれば、
書くかもしれないし、書かないかもしれないし。


「そう思うとそう流れる出来事がやってくる」
それは実感している。
実際は「やってくる」というよりも
無意識下で自分がそうしているんだよね

「体調が悪くなり音楽をやめた」
と、ずっと思っていたけれど、
私はあの時、やめたかったのかもしれない。
だからやめるような流れになった。
今だったら、そう捉えるかもな。

パニック症の症状については、
私は軽かったほうだと思います。
うっすらとその感触は、わりと数年前まではあったかな。

個人的には
「治さなきゃいけないと思わない」っていうが1番良かったかなと思う。
消そうとしない。
つきあっていけばいいのさ。
ワルモノじゃないんだよ。むしろ知らせにきてくれてる天使。
自分が無視している心の痛みを、疲れを、自分の身体を使って知らせてくれるサイン。
そこにラインはなくて
自分がしんどいと思えば、
休ませてあげる。
自分を1番大切に出来るのは自分です。

今だったら嫌なことがあったり、落ち込んだりしたら
前回書いた「今、どう?」と
自分の中で感情を味わい尽くして
「寝よ寝よー」って言ってとにかく寝る。
そんなに嫌なことも、落ち込むことも減った。

生まれた時からずっと白しかない、真っ白な世界にいたら、それを白だと認識出来ない。
黒があるから白を感じる。白があるから黒を感じることが出来る。
ざっくりな例だけれど、それをわざわざ経験しに来ているのが、人間なんじゃないかというようなことを、そうかもなと思うようになった。

ずっとあの頃のことを暗闇だと思っていたけれど、今は全く思わなくなったなぁ。


ギター弾いて、ライブやって
楽しいなと思える時間
ありがたい。

また乱文なので
後から編集すると思います◎

次回はなんかおもしろ話を書こうかな。

追記:
落ち込んだりした時に、いちばん思わないでほしいのは
「こんなことくらいで…」です。
自分より辛い人、過酷な人はたくさんいるのに、とかね。
あなたにとって1番大切なのは
あなたが健やかに笑顔で過ごせることです◎