幼少期のこと (自分史1)

まずここで何をしようかな
と、思って
ずっとやろうと思っていた
「自分史を書いておく」を
やっておこうと思った。

私はけっこう
知らない人のものでも
その人がどうやって生きてきたかとか
どんな人生だったのか
みたいなのを読むのが好きです。

過去のことだからって
それが事実だとも
誰もわからないところがおもしろい。
家族の話
自分の記憶
それが事実だとは限らないから。
(疑うとかそういうことではなくね w)

自分の受け取り方次第で
過去も変わっていくもの
という考え方を私は採用しています。
それにパラレルワールド的なものも
昔から信じているほうの人間ですw


定まるまでは
そんなこんなで
更新はしていきます。



前置き長っ

うちのこと、幼馴染と出会ったこと


3歳までは
母の実家の近くで駅近のアパートに
両親と私と3人で暮らしていたみたいです。

4歳下の妹がいるのですが、
きっと妹を出産する前に
手狭になるしと家を買ったのでしょうね。
引っ越した日のことは
うっすらと覚えています。
母の実家の3軒となり。
そこに私は32歳までいました。


母方のおじいちゃんは
とんかつ屋をやっていました。
特に何もない住宅街の中に
遠くからわざわざお客さんが来る
わりと有名で繁盛店でした。
その母の実家に、
母の兄弟(叔父たち)と
その家族がみんな住んでいた感じです。


うちの父の仕事が
(前述した)新聞社のカメラマンという
不規則で出張も多く
帰ってくるのも夜中
という忙しい仕事だったので
母の家族の近くに
住むことにしたみたいです。


そこで
SNSにはよく書いている
同い年の幼馴染が
私の人生に登場します。
3歳からのつきあいってすごいね。

彼女とは学校は中学まで同じで
高校に入ってからは
私がギターを買い
彼女はベースを買い、
初めてのバンドも一緒です。


今でもカバーバンドを一緒にやったり
ライヴに来てくれたりと
つきあいが続いている。
(これだけで一記事かけるのでまた)


忘れられないバレエのこと


3歳の時、
彼女はバレエを習っていて
どういう流れか、私も一緒に通うことになった。
母に行く?って言われて
やりたーい!とか
適当に返事したんでしょうねw


彼女と通うことは楽しかったけれど
まあ、とにかく
私はバレエに行くのが嫌でした。
身体が硬かったので
とにかく痛いのw
ストレッチとかやるのが。


あと臆病だったので
大きいトランポリンがあったんだけれど
それで遊ぶのが怖くて。

私の忘れられない記憶で
「死んだふり事件」というのがあって
バレエ行きたくなさで
画用紙にナイフの絵を書いて
それを横に置いて死んだふりをして
寝っ転がっていたら
そのうち寝てしまったのか
「まきちゃん行くわよー」って
母に呼ばれて
「はーい」って
結局行ったのを
すごく覚えています。


幼馴染の彼女は
ピンクのレオタードを着ていて
私は水色のレオタードで、
私はどうしてもピンクが着たくて
母に言いました。

母曰く、サイズの違いで
ピンクがないと言っていたけれど、
(私、すごく小さかったのです。
でかく生まれたのに)

それが嫌で
発表会も出ませんでしたw

ピアノ


2軒となりのお姉ちゃんは
ピアノを習っていて
毎日聴こえていた。


きっかけは忘れたけれど、
私はピアノをやりたいと
母に言った。
記憶にある限りでは
自分で何かをやりたい
始めたいと思った
最初のことだと思います。

ピアノをやるから
バレエをやめたいと言った。
(それかな?w)

よく覚えていないけれど
その時、いいよって言われた時の
嬉しさは覚えています。

長いな、、
ピアノだけで3記事は書けそう。
続く。



気づき
そっか、これをやるには
昔の写真があるとおもしろいね。
実家に取りにいって
写真の整理とともにやっていけばいいね!